保国寺について書くのも、これで3回目になりますが よくここまでお寺について
御住職さんに聞いていたもんだな!って思っています。 自分でも びっくりしています。
御住職さんに教えて頂いた話は、今回で最後になります。
《 出来るだけ解かり易く簡単に書きますので読んで下さい。 》
前回の記事からの概略:保国寺は奈良時代に聖武天皇が、国家安定の為に仏教の信仰を
進めることを 目的として 西条市中野に創建されたのです。
今回の記事は、ここから:↓
保国寺は 当初 天台宗であったのですが 鎌倉時代に 仏通禅師によって
臨済宗に改められたのです。
その仏通禅師の 肖像彫刻は 昭和46年6月22日に国指定重要文化財の指定されました。
仏通禅師の肖像彫刻は、当初は東福寺に安置していましたが江戸末期に、保国寺の臨済宗開山者
でもあることから保国寺に移されたそうです。
昭和45年11月には アメリカボストン美術館に出展されたり、日本東京国立博物館にも出展されて
いました。 【 仏通禅師の 肖像彫刻を見せて貰いました 】
【解かり難いのですが、左側奥にある仏像が仏通禅師像です。】
肖像彫刻は『黒仏さん』と呼ばれ、黒塗りで肥満ぎみの体形ですが いかにも生身の体を
見ている感じです。 今で言う メタボな体形で、重量感のある風格が何とも言えません!
彫刻で、ここまで表現出来るとは すごいなあ!! と、芸術的知識の無い私にも、
解かるほどですから、やはり すばらし仏像なんだなぁーと思いました。
保国寺の○本山は京都 慧日山(えんにちざん)東福寺で
○本尊は 阿弥陀如来(あみだにょらい)です。
【これもかなり解かり難いのですが中央が阿弥陀如来仏立像です。】
その後 天正13年(1585年:安土桃山時代) 焼夫
文禄4年(1595年:安土桃山時代) 洪水で姿形とも無くなった。 その後は 明治時代まで
時代ごとに再建~新築と行われ復興して行ったそうです。
そして 平成時代になり 平成の大改修として 予算3億5千万円を掛けて
寺のほぼ全域の建屋・諸施設を 平成12年から平成20年まで 実施されました。
お寺の中に、床の間の部間があり、すごく良い 床の間 でしたので画像アップしてみました。
床の間の中の壁は塗り替えていますが、床の間 自身はかなりの歴史を踏まえている思います。
一般の方々では、まず わかり難いと思いますが 大工の私から見て 何とも言葉で
表現し難いのですが、この床の間は、落ち付きと、癒しと、安定感がすばらし床の間でした。
写真を撮ってからも 一人で じっと ぼっと眺めてました。 とにかく、癒されます。
仕事で床の間の造作がある時は必ず参考にしたいです。
【祖父母の法事にて、お寺で御住職さんから、お聞きした保国寺の話は これで終わりになります。】
最後に…
檀家である私にとっては今回の出来事は大変、意味のある事でした。
一般的には自分の家の、お寺の歴史や謂(い)われ、などは知らない方が多いのではないのでしょうか!
皆さんも機会有れば、自分の家の お寺について、御住職さんに、いろいろ聞いてみてはどうでしょうか!!
【 興味無い事でも、一度お聞きすると結構、面白くて次々と知りたくなりますよ!! 】